雲樞易話

一般の人は『易経』の占いに
どう向き合うべきか

雲樞

未知を前に、人は道しるべを求める

進学、仕事、恋愛、健康などの問題に直面したとき、人は先の展開が見えずに迷い、『易経』の占いに何らかの指針を求めることがある。一般の人が易占に向き合う際、盲目的に信じる必要もなければ、すべてを迷信として切り捨てる必要もない。問題を整理し、視野を広げ、自分自身を省みるための手段として捉えるのが、より適切な姿勢であろう。

易占は、まず人の心を静める

正式に卦を立てる前には、心を落ち着け、雑念を払い、何を尋ねたいのかを明確にすることが求められる。不安に駆られているときには、恐れや期待、先入観が入り交じり、自分が本当は何を心配しているのかさえ分からなくなることがある。問い手が混乱した思考を一つの明確な問いにまとめようとするとき、すでに自分の置かれた状況を見つめ直す作業は始まっている。

卦が未来を正確に予測できるかどうかをひとまず脇に置いたとしても、占う前の準備そのものには一定の意義がある。衝動的に決断する前にいったん立ち止まり、自分が抱えている問題を見極める時間になるからである。

複数の卦が異なる視点をもたらす

易学の流派によって、卦の見方や占断の方法は必ずしも同じではない。一般に、本卦(ほんか)は現在の状況を示し、互卦(ごか)はその内部に潜む動きや関係を表すとされる。動爻によって生じる之卦(しか。変卦ともいう)からは、今後の展開や変化の方向を読む。

また、錯卦(さつか。裏卦ともいう)は、すべての陰陽を反転させた卦であり、物事を反対の側面から考える手掛かりとなる。綜卦(そうか。賓卦ともいう)は、卦を上下逆転させたものであり、同じ状況を別の立場から捉え直すきっかけを与える。

これらを互いに競合する複数の答えと考える必要はない。同じ問題を見るための異なる視点として理解することもできる。そうすることで、問い手は単に「結果は吉か凶か」と尋ねるだけでなく、現在の状況、隠れた要因、他者の立場、考えられる危険、今後の変化についても考えるようになる。

曾仕強教授 ― 易占は思考を補うもの

曾仕強教授は、テレビ講座「善易不卜」において、易占を自らの潜在能力を引き出し、より多くの情報を得て考えを深めるための過程として捉えている。

「善易者不卜」、すなわち「易に通じた者は占わない」という言葉は、易占を全面的に否定するものではない。何事についてもむやみに卦を立てるべきではないという戒めである。

常識や資料によって判断できることについては、まず自分で考えるべきである。十分に考えたにもかかわらず、情報が足りず、なお疑いが残る場合に限って、卦を別の視点を得るための手掛かりとする。易占は思考を助けるものであり、人に代わって考えるものではない。

傅佩榮教授 ― 易占には守るべき一線がある

傅佩榮教授は、「不誠不占、不義不占、不疑不占」という三つの原則を示している。

「誠ならざれば占わず」とは、問い手に誠実さと集中を求めるものである。「義ならざれば占わず」とは、他人のプライバシーを探ったり、不正な目的のために占ったりしてはならないという意味である。そして「疑わざれば占わず」とは、常識や事実によって判断できる問題については、あえて卦を立てる必要がないということである。

傅教授によれば、卦は未来を断定するものではなく、現在の状況と、今後どの方向に努力すべきかを理解するための手掛かりである。最終的に吉凶を左右するのは、本人の知恵と徳、そして実際の行動なのである。

劉君祖先生 ― 占いから学びへ、学びから修養へ

劉君祖先生は、易占と『易経』の関係を「藉占学易、藉易修行」、すなわち「占いを通して易を学び、易を通して自己を修める」と表現している。

人は吉凶を知りたいという思いから『易経』に触れることがある。しかし、学びを損得の予測だけにとどめるのではなく、卦の変化から進退の道を学び、時機を捉え、自らの行動を省みることが大切である。

劉先生もまた、『易経』の予測は、情勢を見極めるための示唆や助言を与えるものであり、変えることのできない運命を宣告するものではないと強調している。事態をよりよい方向へ導けるかどうかは、本人が現実に向き合い、自分のあり方を改め、実際に行動できるかどうかにかかっている。

卦は現実的な判断に代わるものではない

卦辞や爻辞には一定の解釈の幅があり、同じ卦であっても、解釈する人によって異なる見方が生じ得る。また、人は的中した部分だけを記憶したり、結果が気に入らないときには、自分の望む答えが出るまで何度も占ったりしがちである。

そのような状態になれば、易占は自分を省みるための手段ではなく、現実から逃れるための方法になってしまう。

とりわけ医療、法律、投資などの重大な問題において、易占は客観的な資料や専門家の意見に取って代わるものではない。卦から得られる示唆を参考にすることはできるが、最終的に選択し、その結果を引き受けるのは、あくまでも占う本人である。

結び ― 卦を鏡として捉える

一般の人は、卦を一面の鏡として捉えるとよいのではないだろうか。鏡は、それまで見落としていた自分の考えや状況を映し出すことはできる。しかし、これから歩む道を代わりに歩いてくれるわけではない。

卦を立てる前には、自分の問題に誠実に向き合う。卦を解釈するときには、心を開きながらも、自ら考える姿勢を失わない。そして占った後には現実へ戻り、知識と倫理に基づいて行動し、自分の選択に責任を持つ。これこそが、現代人が『易経』の占いに向き合ううえで、最も堅実な姿勢であろう。

参考資料

  1. 中国中央テレビ『百家講壇:易経の奥秘(七)善易不卜』
  2. 「卦象は未来を断定するものではない」
  3. 「『三不占』の原則――まず内省する」
  4. 咸臨書院:劉君祖先生の紹介
  5. 劉君祖先生が語る『易経』の予測・情勢・人の修養